03-03300 國分寺

國分寺こんぶんじ

國分村にあり今福德寺といふ
承和六年五月和泉郡安寺を以て國分寺とす
講師一員僧十口を置く也
延喜式曰國分寺料五千束と

光明皇后くはうみやうくはうくう誕生地たんじやうのち

むかし智海ちかい上人といふあり當國泉郡浦田の産也
同郡宮里の瀧山に住て佛乘ぶつじやう勤修ごんしゆ
ある時めしかて上人の小便べんなめ懐胎つひに小女をうみけり
上人見るに忍びず隣家りんかをうなをたのみて慈育じいくさしむ
元來もとより貧賤ひんせんなれば農事のうじなりはいとす
なつ五月野田のだに出てなへうゆるにかの小女七歳の時をうなと共に嬉戯きぜん
其頃大臣藤原ふじはら不比等ふひとう勅願ちよくぐはんの御使として槇尾まきのを寺にけい
帰路きろに及んて一瑞氣ずいきありこれすなはち小女のよりひかりを放つ
大臣輿こしよりり給ひこれを給ふに全體ぜんたいみな姝麗しゆれいにして
竒代きだいなれはをうなこふ輿こしを同じうし帰り給ふ
其より君王くんわうかたはらして恩𠖥をんちやうを得たり天平元年八月后宮こうぐうに立たまふ
これ即光明皇后くはうくう也甚佛法を信し多くの寺院を建給ふ
當寺はすなはち后宮こうぐう家地いゑところ精舎しやうしやとなして安樂寺と号す
𣴎和年中勅して國分寺と改め給ふ瀧山の藥師堂は國分寺の奥院也とそ

 

今に見る国分寺

  

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