國分寺
國分村にあり今福德寺といふ
承和六年五月和泉郡安寺を以て國分寺とす
講師一員僧十口を置く也
延喜式曰國分寺料五千束と云云
光明皇后誕生地
承和六年五月和泉郡安寺を以て國分寺とす
講師一員僧十口を置く也
延喜式曰國分寺料五千束と云云
光明皇后誕生地
むかし智海上人といふあり當國泉郡浦田の産也
同郡宮里の瀧山に住て佛乘を勤修す
ある時麋來ツて上人の小便を嘗て懐胎し竟に小女を産けり
上人見るに忍びず隣家の嫗をたのみて慈育さしむ
元來貧賤なれば農事を業とす
夏五月野田に出て苗を植るにかの小女七歳の時嫗と共に嬉戯す
其頃大臣藤原不比等勅願の御使として槇尾寺に詣す
帰路に及んて一ツの瑞氣ありこれ即小女の身より光を放つ
大臣輿より下り給ひこれを見給ふに全體みな姝麗にして
竒代なれは嫗に請て輿を同じうし帰り給ふ
其より君王の傍に侍して恩𠖥を得たり天平元年八月后宮に立たまふ
これ即光明皇后也甚タ佛法を信し多くの寺院を建給ふ
當寺は即后宮の家地也精舎となして安樂寺と号す
𣴎和年中勅して國分寺と改め給ふ瀧山の藥師堂は國分寺の奥院也とそ
今に見る国分寺
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